2011年04月30日 (土)
4/28~30。会議に参加する為、東京に行ってきました。
行ってみてやっと感じたのが「東京の節電」。
熊本の日常における電気使用は、震災前後で変わりが無いため、節電の取り組みについて正直ピンとこなかったのですが、「駅」に降り立ち、「おやっ?」と思いました。
「暗い・・・」
でもすぐに、「そうか、節電か・・・」と納得しました。
熊本から荷物を抱えての上京だったので、エスカレーターが動いていないのは不便でしたが、照明に関しては特に違和感がなく、逆にイギリス(KENT州)生活を思い出し、懐かしく感じました。
駅構内、車両の照明が暗くて怖い。と思う事はなく、むしろ落ち着きました。
留学中のイギリスの鉄道の照明状況を思うと、今の東京の状況は節電ではなく、イギリスでは日常でした。
上京中、イギリス留学時の友人と会う機会があり、彼女に尋ねてみたら、彼女も全く私と同感でした。
そして、熊本で生活している英語の先生との会話を思い出しました。
先生は震災の1週間後にあたる3/18~20。オーストラリアの友人と東京旅行を計画していました。
随分前から計画していた旅行だったので、震災後、節電等の情報が飛び交う不安の中、決行したそうです。
しかし、着いた友人の一声は、「TOKYO COOL!」という言葉だったそうです。
「あれだけの震災がありながらも東京で電車が動いていることが素晴らしい。」とおっしゃった先生の言葉を聞き、私はこうした所の“素晴らしさ”に改めて気付かされました。
そして、日本の照明については、これまで必要以上に明る過ぎたことにも気付かされました。
不必要な電気の見直しを今回の震災によって考え直すことは必要です。
しかし、それとは別に、「何故節電になったのか。」考えるのが私の『メダカの目』です。
電力供給という社会的使命を持った電力事業者が、「電気は止まる。」ということを忘れていたようです。
もっとひどく表現しますと、「電気」そのものを忘れていたようです。
外部電力も電源車も用意していなかった。
その結果が「人災」となり、この度の広範囲の節電となりました。
電気を使って仕事をする会社は、災害等で電気の供給が止まった時のことを考えるのが常です。
小さな例を上げれば、パソコンを使ってデータ管理をする私の事務所では、データを守る為に電源のバッテリを備えています。
しかし、肝心の電気を作る電力会社がその備えをしていなかったのですから、いかに危機管理について無責任であったか皆さんお判りいただけるのではないでしょうか。
被災地では電気によって生命を維持している方たちがおられます。
東京も含め、節電の中で生活している方たちのことを思うと本当に無責任な企業運営としか言いようがありません。
今回の震災で日本人の品格は世界の方々に誇りあるものとして評価されました。しかし、一方ではこうした問いかけも忘れてはいけないと思い、今の気持ちを発信することにしました。
以上
メダカの目
平成23年4月30日
本田顕子
2011年04月23日 (土)

2011/04/23 (土)
昨日、加藤清正公生誕450年・没後400年記念文化事業として「黒川能」*が演じられたので観に行ってきました。
加藤清正公の嫡男(ちゃくなん)忠広公が熊本から配流された山形県「出羽庄内」、鶴岡市櫛引町丸岡地区は黒川能がある黒川地区とほど近い場所にあるため、この能を鑑賞されたであろうと言われています。加藤家に縁ある能として演じられました。
通常、加藤家の流派は肥後金春なので、それ以外を演じてはならないそうですが、何れの流派にも属していない、「黒川能」が昨日は特別に演じられました。
加藤神社境内特設舞台だった為、演者の顔をとても近くに観ることができました。
これまで「能」は舞台が遠く、いつの間にか“寝入って”しまうばかりだったのですが、昨日初めて“見入る”ことができました。
「能面」は見るだけでも心がドキッとしますが不思議なことに、お面の顔はずっと同じなのに、じっと見ていると表情が出てきます。喜び、怒り、哀れ。。。様々な想いが静かな動きの中に表情となり、時に叫びのように感じる瞬間もありました。
私が見た、「黒川能」の演目『黒塚』は能楽堂ではあまり見られない髪型でした。人間の女性は黒髪、白髪でもかずらの後ろを束ねるのが普通ですが、黒川能では白髪に限って結わずに下げた切髪でした。5流で失われてしまった演出を黒川能が残している貴重な例ということでした。
配流された出羽庄内で熊本育ちの忠広公は悲しくつらい思いを忘れさせてくれるものとしてさまざまな演目の「黒川能」を鑑賞されただろうと言われております。
今回演じるにあたり、山形県でも被災にあった地区もある為、熊本へ演じに行くことを中止にすべきか迷われたそうです。しかし、自分達が熊本の皆さんに元気を届けたいという思いで開催されたそうです。
「演じる」、「観る」・・・そこに込める様々な思いがあります。
だからこそ、文化は伝わるんだろうなぁと思いました。
こうした交流を通して、今まで知らなかった、山形と熊本のつながりを歴史に学びました。機会があれば、加藤忠広公が配流された出羽庄内の地に行ってみたいなと思いました。
*「黒川能」は山形県鶴岡市に伝わる神事能。国指定重要無形民俗文化財。
約500年の歴史があり、猿楽能を大成させた世阿弥(ぜあみ)の流れを汲み独自の伝承を続けている。中央では既に滅びてしまっている古い演目・演式を数多く残しているのが特徴。
2011年04月21日 (木)
「私は二度と飢えません・・・」この台詞(セリフ)。
これは映画、「風と共に去りぬ」で主人公のスカーレット・オハラが南北戦争で焼け野原となった農地から掘り出した野菜を食べて泣きながら声を絞り出すように言った台詞(セリフ)です。
夕日が沈む南部の地に浮かびあがるスカーレット・オハラ役のヴィヴィアン・リーの悲しくもたくましい美しさが印象に残る素晴らしい名場面(シーン)です。
今朝新聞の記事を読み、この名場面を思い出しました。
記事の内容は熊本県知事が、東日本大震災で被災した農家を対象とした熊本県独自の支援(熊本県内での就農、住居、引っ越し費用をセットで提供する。)という内容です。都道府県で初めての試みと書いてありました。
私は、「何故?」と問いかけました。
被災地の方はどんなに荒れ果てた所でも、柱一本しかなくても、たとえ何もなくてもそこを復興させ、生きていきたい。どんなに、「危険です。」、「避難して下さい。」と言われても、「住み慣れた故郷に留まりたい。」と多くの方がおっしゃっています。
何故か、それは「風と共に去りぬ」の主人公、スカーレット・オハラが全てを失くした後に発する言葉、「故郷、タラに帰ろう。」に重なります。
その故郷から再出発をする道のりは過酷かもしれません。しかし、それででも、“故郷だから信じられる。”
この度の東北地方の農家の方もこのような気持ちではないでしょうか。
被災された農家の方は、東北地方という寒冷地の農事メモに精通した方たちです。
被災地の地産地消の『農業復興』の重要な担い手です。
こうした重要な方達を全く気候風土、農事メモも全く異なる九州熊本の地に来て頂いて農業に従事してもらう。ということは折角の人材を県が奪い、農業技術を喪失させてしまう上に、被災地を更に「限界集落」へと拍車をかける危険性があるように思えてなりません。
自身で故郷を離れたいと思って、熊本で第2の人生をスタートしたい。と思われる方がいれば、それは両手で迎えてあげるべきだと思います。しかし、法律も改正し、より“税”投入を他県が求め、率先して、誘致し、転出県に対して費用負担を求める。ということは被災支援行政としていかがなものかと私は問い続けています。
以上
メダカの目
平成23年4月21日
本田顕子
2011年04月18日 (月)
2011年04月16日 (土)
2011年04月12日 (火)

長州駅前での辻立ち風景

たすきをつける位置は毎回難しいです・・・
2011年04月09日 (土)
2011年04月05日 (火)
2011年04月03日 (日)
2011年04月01日 (金)