2011年05月31日 (火)

2011年05月27日 (金)

2011/05/27 (金)
2011年05月25日 (水)
「第177回国会(常会)が開かれています。 会期は1月24日~ 6月22日までの150 日間です。
国会は6月22日で閉会されようとしています。
みんなの党はこんな時に国会を閉めるべきではない。
夜なべしてでも国会は明けておくべきだと要望しています。
3月11日に東日本大地震という未曽有の震災が起こり、国会ではかつて経験したこともない複数の事例に対処しなければいけない状況になりました。
山積みになっている法案が沢山あります。
新しい法案についても協議しなければいけないことが沢山です。
国会が閉まってしまえば、総理大臣の意志だけで決まってしまうことになります。
初動の遅れによって天災の被害は大きくなり、その被害は今も止まることなく続いています。
初動の遅れによってどれだけ尊い生命が奪われたか。
私は宮城県に行き、震災当日の話を聞けば聞くほど、
「どうして助けることができなかったのだろう?」
「陸がダメなら、ヘリコプターを使えばよかったのに。」
「機動力が発揮できるようにどうしてできなかったのだろう?」
と思うばかりでした。
自衛隊を“暴力措置などと言った”政府の責任の重さを感じました。
やっとの思いで津波を乗り越え、屋根の上や柱につかまり救助を待っていた方。
機動力がないため寒さに耐えきれず水に沈んでいった方。
救助を待つ方の姿、声が目、耳に残りトラウマとなり心の病になっている方・・・。
今更と言われるかもしれませんが、あの時、政府の初動が早ければ、自衛隊の機動力がもっと発揮できていたら、助かる生命はもっとあったんです。
日頃から、政府と自衛隊に信頼関係が崩れるような発言をしているから、連携に遅れがでたのではないでしょうか。
福島原発の問題についても早い時期にアメリカの冷却水を受けいれていれば、ここまで被害が拡大しなかったことは誰がみても明らかです。
こうした一つ一つの初動の遅れが今を作っているからこそ、同じ間違いを繰り返さない為にも、国会は明けておくべきです。
今も収まらないメルトダウンや今後もおこりうる危機に対処できるよう、国会がいつでも行動、対応できる状態にしておくべきです。
今、国会では野党である、みんなの党が、地震発生当初から、「ブレない」、「曲げない」、「崩れない」をモットーに国会で発言、追及し、対案を出し、震災被災者を第一に行動を続けています。
こうした行動を続けているからこそ、政府の矛盾。
例えばメルトダウンについての3/12の菅総理大臣と渡辺喜美代表のやり取りについて、公に国民の皆さんも知ることになりました。
健全に対峙する野党があってこそ無責任な衆愚政治におちいらない国難対応の政治体制が維持されます。
以上がみんなの党が国会を閉じるべきではないという理由です。
私の持論も加え、本日のメダカの目。
以上
本田顕子
参考資料
2011年05月22日 (日)
仙台滞在中読んでいた現地新聞には、熊本で知り得ない情報がたくさんでした。
新聞片面に大きく掲載されていた某大手化粧品メーカーの広告に私はハッとしました。
広告には、化粧品がなくて基礎化粧のお手入れができない、シャンプーできない、身体を洗えない方たちへ、いかに水を使わず、清潔を保つか、お肌の整え方、髪の洗い方、身体の拭き方などが掲載されていました。
そして、「今は化粧ができなくても大丈夫。肌は生まれ変わる力を持っています。化粧水、乳液が使えるようになったらしっかりお手入れすれば大丈夫。」というようなメッセージが添えてありました。
被災地では全てを失くされた方が沢山いらっしゃいます。
大切な生命、健康のみならず、家屋、生活用品、洋服、思い出。
そして、女性にとって大事な化粧品。
日常のあらゆるものにわたります。
たかが化粧と言っても肌が健やかで生き生きして、きれいにお化粧できた時はすごく気持ちが前向きになります。
連日政府、東電は「被災地の皆様方の・・・・」という発言をされていますが、心に届くメッセージを感じません。
被災地の皆様方が本当に安心できる、仙台でみた、某化粧品メーカーの広告のようなメッセージが今一番望まれています。
「こんな時に総理大臣を交代している場合ではない。」という意見もあるでしょう。
しかし、退陣しなければ、希望のメッセージは届きません。
被災地では今も行方不明の方の捜索が続けられています。
この方たちは震災直後、迅速な対応があれば助かっていた方も多くいるのです。
機動力が無かったばかりに力尽きてしまった方たちです。
がれき処理に被災者の方、自衛隊、ボランティア、沢山の方々が連日活動されていますが、海のヘドロなどがつみあがったがれきにはいろんなものが含まれています。
簡易マスクをつけて作業をされていますが、日中の暑さも加わる為、マスクを外した状態で作業をされています。
この方たちの今後の健康に影響がでないか心配です。
適材適所の人材を配置し、現場ごとで対応できる仕組みづくりをし、被災地の方々が本当に安心できる状態を一日も早く政治が示してあげることが、今一番望まれていることではないでしょうか。
現政権を選んだ国民に責任があるなら、現政権を変えるのも私達国民の大事な責任です。
住んでいた場所に戻れるかわからない。仕事の場所も失くしてしまった。働くあてもない。義援金も配布されていない方が沢山いる。
こうした中でいくら夢をもとうと思っても無理な話です。
被災地である方が言いました。
「やっぱり国民運動おこさなきゃいけないな。」
こうした未曽有の時だからこそ、やはり政治の力が必要だと私が思った瞬間です。
被災生活する方がなぜ耳を傾けるか、そこに理念、未来の夢が見えるから、政治を志す者に自分の夢、願いを託すのではないでしょうか。
明日からの辻立ちの中で現地のことを伝えながら、県民運動を起こしていきます。
以上、メダカの目
平成23年5月22日
本田顕子
2011年05月19日 (木)

昨日見てきた支援センターで募集されていたチラシです。
被災地には様々な支援物資が届けられています。
季節が変われば服装が変わるように、今、被災地では必要とする物資も変化してきている状況です。
徐々に仮設住宅で新しい生活を始められる方も出てきています。
生活を始めるにあたり、生活用品が必要となってきます。
石鹸、シャンプー、台所用品‥など
昨日見た支援センターでは、仮設住宅での生活用品一式をセットにしてスーツケースで届ける準備をされていました。
スーツケースは旅の基本ですが、こんな使い方、届け方はケースも利用できるので便利だなと思って眺めてきました。
支援物資は新品であることが条件ということが多いのですが、「スーツケースはなかなか手に入りにくいので中古品でもかまわない。」ということでした。
熊本に戻り、探してみたら・・・
ありました!
使ってないスーツケース!!
数回しか使っていないので、これなら届ける方にも失礼にならないと思うので早速送ります!
ある方が以前、本に書いていた言葉があります。
旅は“希望”であり、旅の終わりは別の“希望”を生むもの。
仮設住宅の生活は仮のものです。
仮設住宅で生活する皆様方にとっては、限られた期間の生活の中でこれからのことを考えていかなければいけません。
新しい生活とはいっても、生活の糧を見つけていかなければいけないし、いろんなお気持ちが入り混じる不安なお気持ちの中での生活だと思います。
だからこそ、スーツケースを開いた時、旅にきてホテルでワクワクした気持ちでケースを開ける気持ちで生活をはじめて頂きたいし、仮設住宅の生活が終わりスーツケースに荷物を詰める時には、皆さんお一人お一人に新たな“希望”が生まれているといいなと思います。
希望を込めてこのスーツケースを送ります。
本田顕子
ご賛同いただける方がいらしたら是非ともご協力ください。
詳細については、
宮城復興支援センターのホームページをご覧ください。
http://ganbaro-miyagi.seesaa.net/
2011年05月18日 (水)

石巻漁市場から流されて道路に横たわったままの図。

防波堤が決壊しているため、今は冠水が問題となっています。

ボランティアの方が避難所で行われていた「足浴」。皆さんの笑顔がリラックスの証拠。

たくさんの支援の輪が被災地を支えていました。
2011年05月17日 (火)

水たまりではなく、“汚水”なので注意が必要です。

道路に乗り上げているマグロ漁船。船の解体工事に億単位のお金が必要ということ。

気仙沼港周辺。水産加工会社が数多くあった場所。

新鮮なマグロの町だからこそ店を再開したお店。次々に地元の方たちが・・・。
2011/5/17 (火)
昨日、今日よく目にした「水たまり」は、津波で水が内陸部に入っているから海水と思っていたのですが、こうした水は、下水の“汚水”が流れずにたまっている状態だそうです。
他県からの災害ボランティアの方はこうした水が“汚水”と気付かず靴の泥を洗ったり、中には手の泥を落とすためにその水で手を洗っていることもあるそうです。
がれきの撤去でかすり傷があった場合は大変です。
傷口からバイ菌が入り「破傷風」になってしまいます。
実際、現地では破傷風になっている方が多いそうです。
気温が上がり出せばこうした下水道と衛生対策、加えて注意喚起が更に必要と思われます。
今回私が宮城県に来たのは、大学(星薬科大学)の恩師に会うのことも目的でした。
昨日お会いした際、先生からドイツ首相ビスマルクの言葉を教えて頂きました。
賢者は歴史に学び
愚者は経験に学ぶ
先生は、
「私は戦後焼け野原を見て立ち直りました。しかし、何もかも乗り越えて、作り上げたものが再びなくなりました。
もっと若かったら皆さんの為に力を発揮したいけれど、もう年を取りすぎてしまいました。
何よりも今、見えない不安が沢山です。だからこそ、今、求められているのは政治です。」とおっしゃいました。
そこに生活する方々のお話を聞きながら、日本復興の歴史を学ばせて頂いています。
本当は皆さんお忙しくて一分一秒が大事な中に、止まって話をしていただくことに感謝でした。
明日も引き続き、きくあきこ。頑張ってまいります。
2011年05月16日 (月)

今日から活動でお世話になっている「みんなの党宮城県支部」です。

手にしているろうそくは震災当日8時間みんなに灯りをともす貴重な灯だったそうです。

今も続いている集団生活。秩序が整えられています。

小学校の校庭に集められていた車の山。

山元町立中浜小学校。みんなの学びの場所がめちゃくちゃになっていました。

こんなにも・・・と思うほど積み重なる風景でした。

ここから先アスファルトの道路がボキッと完全になくなっていました。

震災直後に発行されている記事。今日見た風景はこれから先に進んでいるものでした。
2011/5/16 (月)
宮城県での活動を始めました。
活動といっても時間も限られている為、視察が中心です。
みんなの党宮城県支部、菊地文博支部長に案内・ご指導いただきながら、今日は宮城県仙台市、特に南部を中心に見てまわりました。
すごく不思議なのですが、駅周辺は日常の賑わいがあるのですが、道路を境に急に風景が変わります。
今日私が見た風景は震災後、特集号等で皆さんが書店で目にする風景から更に進んだものです。
冊子にまとめられている写真は震災直後のもので、主に、居住区まで水に使っている状態の写真が多いのですが、震災から約2か月が経ち、現地は水が引き、巨大津波がえぐり取った後がまざまざと見える状態となっています。
普通の生活が出来ている地区と隣り合わせだからこそ、その風景のギャップにぞっとします。
ろうそくと一緒に映っているお父さんは目の前に流れてくる人をたくさん見て、手を伸ばしたくても伸ばせない。救えない。
なぜなら流れの速さは200Km
目の前に流れてきた子供は救えたけれど、その少し先を流れてきたお母さんの手は届かなかった・・・
いろんな思いがあったからこそ、笑顔でいたいと素敵な笑顔で写真に写ってくれました。
地区で生活する方にとっては、2人でも、5人、10人でも“みんな”です。
そして仙台市を考える時も、“みんな”です。
“みんな”という言葉は小さな単位であると同時にすごく大きな単位でもあり、励みになる単位であると同時に勇気を与えてくれる言葉です。
ひとりではつらいことも“みんな”と一緒だから乗り越えられる。
みんなと乗り越えたい。
皆様の想いを痛切に感じる瞬間が沢山の一日でした。
明日は気仙沼まで行く予定です。
先ずは見て聞いての報告ですが、きくあきこ。明日も元気に活動してまいります!
2011年05月15日 (日)

2011/5/15 (土)
今日から仙台です。
交通網が復旧したら大学の先生がいる宮城に行きたいと思っていました。
みんなの党支部もあるので、こちらで何かできることがあればと思い今回の実施を決めました。
夜から打ち合わせをし、明日からの具体的活動プランをたてる予定です。
勝手な思い込みで、もっとひっそりしているのかと思っていたのですが、JR仙台駅前を見た限り、人のにぎわいがありました。
明日からまた違った風景を見るかもしれませんが、しっかり見て、聞いて、動いて、お役にたてるよう頑張ります!
〔失敗話〕
熊本から荷物が届きにくいので、早めに準備をし、10日前に荷物を送っておいたのですが、ホテルで荷物を開いて唖然。
肝心なカメラを忘れてきてしまいました・・・。
仙台市で最初の買い物はカメラとなりました。
痛い出費でしたが、買い物でも貢献できたと思うことに・・・。
2011年05月14日 (土)


2011/05/13 (土)
おはようございます。
今日はみんなの党の勉強会で東京にきています。
パソコンを開いたら、ホームページを見てくれた高校の同級生がお花の写真を送ってくれていました。
きれいなので皆さんにもご披露。
節電が続いていますが、荷物が多い私にとってエスカレーターが動いているのはやっぱりありがたいです。
熊本より暑く感じる東京です。
では皆様よい週末を。